小諸駅(接続しなの鉄道)
小諸市の変遷
 古くには、数多くの縄文・弥生文化の遺跡の発掘により、小諸の黎明が告げられました。
 そののち、農耕・牧畜の進展と律令の制度により、官道に駅馬、伝馬制が設けられ人馬の往来で集落が発展、形成されました。
 中山道、北国街道、甲州街道の交わる交通の要所として城下町が形成され、数度の領主交代の後、牧野氏1万5千石の領有として、物資の交流が盛んになり、商業都市として栄えました。
 明治時代に入ると、問屋商人の存在により、堅実な商風が評価され県内外において重要な商業の町として発展し、また文化の振興にも尽力し、多くの文化人との交流がありました。
 昭和29年に、北佐久郡小諸町、三岡村、南大井村、北大井村、大里村、川辺村の1町5村の合併で市制となり、32年乗瀬地区、34年西小諸地区の編入で現在に至ります。
 そして今日、上信越自動車道の開通、第3セクタ−しなの鉄道の開業、市内環状道路網の整備により新たな躍進の時をむかえています。
 

 白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡で、入り口の三の門(重文)には徳川家達公の筆になる“懐古園”の額が掛っています。城下町よりも低い位置にある「穴城」として全国的に珍しい存在で、天然の要塞となっている深い空堀や苔むした野面積みの石垣が昔日を偲ばせています。
園内には、藤村記念館をはじめ小山敬三美術館、徴古館、郷土博物館、動物園、遊園地など数多くの文化施設が点在するほか、二の丸の石垣には若山牧水歌碑が、千曲川を望んでは藤村詩碑が建てられています。
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●小諸市 ●小諸市観光協会