龍岡城
 龍岡城五稜郭は、函館とともに日本で二つしかない星型稜堡の洋式築城で貴重な施設です。この城を築いた大給松平氏最後の蕃主・乗謨(のりかた)は早くから洋式築城にあこがれており、文久三年(1863)正月、大番頭(おおばんがしら)登用とともに三河領四千石から信州領一万二千石へ本領移転を願い、併せて五稜郭建設の許可も申請しました。慶応三年(1871)四月、城も完成し竣竣功祝いを行いました。
 明治四年(1871)、廃蕃とともに全国の城郭取り壊しが布告され、五稜郭は地所、石垣はそのままとし、建物は入札払い下げとなり、残りは取り壊されてしまいましたが、御殿の一部台所は、さいわい翌五年学制発布により学校としての使用申請が認められたため、貴重な遺構として残されました。
 「お台所」は長く校舎として使用されてきましたが、昭和四年現在地に移され、昭和三十五、六年にわたり半解体復元工事が行われました。 現在、お堀、大手橋、お台所は往年の姿をとどめています。城跡は国の史跡に指定されています。

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